
春
福島の貞心尼の春のはじめの文のかへし文のはしに
天あめが下にみつる玉より黄金こがねより春のはじめの君がおとづれ
きさらぎ
冬ごもり 春にはあれど 埋み火に 足さしのべて
つれづれと 草の庵に とぢこもり うち数ふれば
きさらぎも 夢のごとくに すぎにけらしも
百鳥ももどりの木伝こづたひて鳴く今日しもぞ更にや飲まむ一つきの酒
手毬をよめる
冬ごもり 春さりくれば 飯いひ乞ふと 草のいほりを
立ち出でて 里にい行ゆけば たまほこの 道のちまたに
子どもらが 今を春べと 手まりつく 一ひ二ふ三み四よ五い六む七な
汝ながつけば 吾あはうたひ あがつけば なはうたひ
つきてうたひて 霞立つ 長き春日はるひを 暮らしつるかも
かへしうた
霞立つ長き春日を子供らと手まりつきつつ今日もくらしつ
師常に手毬をもてあそびたまふとききて、「これぞこの仏の道に遊びつつつくやつきせぬ御のりなるらむ」(貞心尼)。御返し
つきてみよひふみよいむなやここのとを十とをさめてまた始まるを
あくる日はとくとひ来給ひければ、「歌や詠まむ手毬やつかむ野にや出でむ君がまにまになして遊ばむ」(貞心尼) 御かへし
歌もよまむ手毬もつかむ野にも出でむ心ひとつを定めかねつも
むらぎもの心楽しも春の日に鳥のむらがり遊ぶを見れば
むらぎもの心は和なぎぬ永き日にこれのみ園の林を見れば
鉢の子
鉢の子は 愛はしきものかも 幾年か わが持てりしを
今日道に 置きてし来れば 立つらくの たづきも知らず
居るらくの すべをも知らに かりこもの 思ひみだれて
ゆふづつの かゆきかくゆき とめゆけば ここにありとて
わがもとに 人はもて来ぬ うれしくも 持て来るものか その鉢の子を
かへしうた
春の野に菫つみつつ鉢の子を忘れてぞ来こしあはれ鉢の子
鉢之子に菫たんぽぽこきまぜて三世みよの仏にたてまつりてむ
かぐはしき桜の花の空に散る春のゆふべは暮れずもあらなむ
あしひきの青山越えてわが来れば雉子きぎす鳴くなりその山もとに
山住みのあはれを誰に語らましあかざ籠こに入れかへるゆふぐれ
夏
国上くかみ山松風すずし越え来れば山ほととぎすをちこちに鳴く
さ苗ひくをとめを見ればいそのかみ古りにし御代みよの思ほゆるかも
あしひきの山田の爺をぢがひねもすにいゆきかへらひ水運ぶ見ゆ
ひさかたの雨の晴れ間にいでて見れば青みわたりぬ四方よもの山々
或夏の頃まうでけるに、いづちへか出で給ひけむ見え給はず、ただ花がめに蓮はちすのさしたるがいと匂ひて有りければ、「来て見れば人こそ見えね庵いほ守もりてにほふ蓮の花のたふとさ」(貞心尼)。御返し
みあへするものこそなけれ小瓶をがめなる蓮はちすの花を見つつしのはせ
秋
ふみ月十五日の夜よみたまひしとぞ
風は清し月はさやけしいざともに踊り明かさむ老のなごりに
ひさかたの 月の光の きよければ 照らしぬきけり
唐からも大和も 昔も今も うそもまことも
月よみの光を待ちて帰りませ山路は栗の毬いがの多きに
ゆふぎりに遠をちの里べはうづもれぬ杉立つ宿にかへるさの道
秋もややうらさびしくぞなりにける小笹をざさに雨のそそぐを聞けば
秋の雨の晴れまに出でて子どもらと山路たどれば裳ものすそ濡れぬ
秋の日の光りかがやく薄の穂これの高屋にのぼりてみれば
秋山をわが越えくればたまほこの道も照るまでもみぢしにけり
冬
やまたづの向ひの岡にさを鹿たてり 神無月かみなづきしぐれの雨にぬれつつ立てり
水や汲まむ薪たきぎや伐こらむ菜や摘まむ朝の時雨の降らぬその間に
飯いひ乞ふと里にも出でずこの頃はしぐれの雨の間なくし降れば
日は暮れて浜辺をゆけば千鳥啼くどうとは知らず心細さよ
ひさしくやまふにふして
うづみ火に足さしくべて臥せれどもこよひの寒さ腹にとほりぬ
夜もすがら草のいほりにわれ居れば杉の葉しぬぎ霰あられ降るなり
由之をゆめに見てさめて
いづくより夜の夢路をたどりこしみ山はいまだ雪の深きに
あしひきの山の椎柴折り焼たきて君と語らむ大和言の葉
貞心尼に
あづさゆみ春になりなば草の庵いほをとく訪ひてませ逢ひたきものを
あすは春といふ夜
なにとなく心さやぎていねられずあしたは春のはじめとおもへば
哀傷
ひたしおやに代りて
かいなでて負ひてひたして乳ちふふめて今日は枯野におくるなりけり
こぞは疱瘡にて子供さはに失せにたりけり。世の中の親の心にかはりてよめる
人の子の遊ぶを見ればにはたづみ流るる涙とどめかねつも
都良子が死にけりと人のいひければ
秋のゆふべ虫の音ききに僧ひとり遠方をちかた里は霧にうづまる
雑
高野のみ寺にやどりて
紀の国の高野のおくの古寺に杉のしづくを聞きあかしつつ
出雲崎にて 二首
たらちねの母がかたみと朝夕に佐渡の島べをうち見つるかも
いにしへにかはらぬものはありそみとむかひに見ゆる佐渡の島なり
国上にてよめる 三首
きて見ればわが古里は荒れにけり庭もまがきも落葉のみして
いにしへを思へば夢かうつつかも夜はしぐれの雨を聞きつつ
あしひきの山べにすめばすべをなみしきみ摘みつつこの日暮らしつ
いざここにわが身は老いむあしひきの国上の山の松の下いほ
里べには笛や太鼓の音すなりみ山はさはに松の音して
やまかげの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも
行燈の前に読書する図に
世の中にまじらぬとにはあらねどもひとり遊びぞ我はまされる
芭蕉翁の賛
みづぐきの筆紙もたぬ身ぞつらき昨日は寺へけふは医者どの
およしさによみておくる 三首
かしましと面おもて伏ぶせには言ひしかど此の頃見ねばさびしかりけり
くさむらの蛍とならば宵々にこがねの水を妹いもたもうてよ
身が焼けて夜は蛍とほとれども昼はなんともないとこそすれ
しきりに風吹き雨降りたしなみつつ島崎にいたりぬ。人の家づとをこひたりければ
笠はそらに草鞋わらぢはぬげぬ蓑はとぶわが身一つはいへのつととて
あまつたふ日はかたぶきぬたまほこの家路は遠しふくろは重し
寺泊に飯乞ひて
こき走る 鱈にもわれは 似たるかも
あしたには かみにのぼり
かげろふの 夕さりくれば 下るなり
おのが姿をゑがける画に題す
良寛僧がけさの朝花もてにぐるおんすがた後の世まで残らむ
いほにきてかへる人見送るとて
山かげの真木まきの板屋に雨も降り来こね さすたけの君がしばしと立ちどまるべく
山田杜皐とかう老の「初とれの鰯いわしのやうな良法師やれ来たといふ子らがこゑごゑ」といひしに
大めしを食うて眠りし報いにやいわしの身とぞなりにけるかな
乙宮の森の下屋の静けさにしばしとてわが杖うつしけり
乙宮の森の木下こしたにわが居れば鐸ぬてゆらぐもよ人来たるらし
いくむれか鷺のとまれる宮の森有明の月雲がくれつつ
松之尾の松の間を思ふどち歩ありきしことは今も忘れず
述懐の歌 二首
いそのかみ古のふる道しかすがにみ草ふみわけ行く人なしに
ますらをの踏みけむ世々のふる道は荒れにけるかも行く人なしに
いにしへは心のままに従へど今は心よわれにしたがへ
墨染のわが衣手のひろくありせば 世の中の貧しき人を蔽はましものを
捨てし身をいかにと問はばひさかたの雨ふらば降れ風ふかば吹け
法のりの塵にけがれぬ人はありと聞けどまさ目に一目見しことはあらず
あわ雪のなかに顕たちたる三千大千世界みちおほちまたその中に沫雪ぞ降る
ぬばたまのよるはすがらに糞まりあかし あからひく昼は厠かはやに走り敢へなくに
この夜らの いつか明けなむ
この夜らの 明けはなれなば
をみな来て はりを洗はむ
こいまろび あかしかねけり 長きこの夜を
かくて師走のすゑつ方に俄におもらせ給ふよし、人のもとより知らせたりければ、打ちおどろきて急ぎまうでて見奉るに、さのみなやましき御気しきにもあらず、床のうへに座しゐたまへるが、おのが参りしをうれしとやおもほしけむ
いついつと待ちにし人は来りけり今はあひ見てなにかおもはむ
むさし野の草葉の露のながらひてながらひ果つる身にしあらねば
月の菟
天雲の むか伏すきはみ たにぐくの さ渡る限り
国はしも さはにあれども 里はしも あまたあれども
み仏の 生あれます国の あきかたのママ そのいにしへの
ことなりき 猿ましと菟をさぎと 狐きつにとが 言ことをかはして
あしたには 野山にかけり ゆふべには 林にかへり
かくしつつ 年のへぬれば ひさかたの 天あめのみことの
きこしめし 偽りまこと しらさむと 旅人たびととなりて
あしひきの 山ゆき野ゆき 艱なづみゆき
食をしものあらば たまへとて 尾花折り伏せ 憩ひしに
猿ましは林の 秀枝ほつえより 木の実を摘みて まゐらせり
狐きつには簗やなの あたりより 魚いををくはへて 来りたり
菟をさぎは野べを 走れども 何もえせずて ありしかば
汝いましは心 もとなしと 戒めければ はかなしや
をさぎうからを 欺たまくらく 猿ましは柴を 折りて来よ
きつにはそれを 焚きて給たべ 任まけのまにまに なしつれば
炎に投げて あたら身を 旅人たびとの贄にへと なしにけり
旅人たびとはこれを 見るからに 萎しなえうらぶれ こい転まろび
天あめを仰ぎて よよと泣き 土にたふれて ややありて
土うちたたき 申すらく いまし三人みたりの 友だちに
勝り劣りを いはねども 我あれはをさぎを 愛めぐしとて
元の姿に 身をなして 骸からをかかへて ひさかたの
天あまつみ空を かき分けて 月の宮にぞ 葬はふりける
しかしよりして つがの木の いやつぎつぎに 語りつぎ
言ひつぎ来り ひさかたの 月の菟をさぎと いふことは
これがよしにて ありけりと 聞くわれさへに 白妙しろたへの
衣の袖は 徹とほりて濡れぬ
松山の鏡
越なるや 松の山べの をとめごが 母に別れて
忍びずて 逢ひ見むことを むらぎもの 心にもちて
あらたまの 年の三とせを すぐせしが 師走の暮に
市に出で もの買ふ時に ます鏡 手にとりみれば
わが面おもの 母に似たれば 母刀自ははとじは ここにますかと
よろこびて います日の如 言問こととひて 有りのかぎりの
価あたひもて 買うてかへりて 朝にけに 見つつしぬぶと 聞くがともしさ
教えは大きにあやまる。
それを習うは、猶(なお)あやまる。
只、直に見よ。直にきけ。
直に見るは、見るものなし
直に聞くは、聞くものなし
生涯身を立つるに頼(ものう)し
騰々として天真に任す
嚢中(のうちゅう)三升の米
炉辺(ろへん)一束の薪(たきぎ)
誰か問わん迷悟の跡
何ぞ知らん名利の塵
夜雨草庵の裡(うち)
雙脚(そうきゃく)等閑(なおざり)に伸ばす
それを習うは、猶(なお)あやまる。
只、直に見よ。直にきけ。
直に見るは、見るものなし
直に聞くは、聞くものなし
生涯身を立つるに頼(ものう)し
騰々として天真に任す
嚢中(のうちゅう)三升の米
炉辺(ろへん)一束の薪(たきぎ)
誰か問わん迷悟の跡
何ぞ知らん名利の塵
夜雨草庵の裡(うち)
雙脚(そうきゃく)等閑(なおざり)に伸ばす

山頭火
へうへうとして 水飲んで来て寝る
こ んなにうまい水が あふれている
乞ひあるく 水音のどこまでも
降るまま 濡れるままで歩く
よい宿で とちらも山で前は酒屋で
まったく雲がない 笠をぬぎ
石を枕に 雲のゆくへを
ほろほろ酔って 木の葉ふる
山のしずかさへ しずかなる雨
からだ投げ出して しぐるる雨
しとどに濡れて これは道しるぺの石
すべってころんで 山がひっそり
こころつかれて 山が海がうつくしすぎる
炎天をいただいて 乞い歩く
水音のたえずして 御仏とあり
岩ばしる水をわたれば観世音たせたまふ
日ざかりのお地蔵さまの 顔がにこにこ
山へ空へ摩訶般若心経
何を求める風の中ゆく
松はみな枝垂れて 南無観世音
落ち葉ふる奥深く 御仏を観る
ふるさとは 遠くして木の葉
ここからふるさとの 山となる葉
ふるさとの山はかすんでかさなって
ふるさとは ちしやもみがうまい ふるさとにいる
ふるさとの 水をのみ 水をあび
うまれた家は あとかたもないほうたる
雨のふるふるさとは はだしであるく
故郷の 人と話したのも夢か
さてどちらへ行かう 風が吹く
この道しかない 春の雪降る
ぬいてもぬいても 草の執着をぬく
もりもりもりあがる 雲へ歩む
落ちかかる 月を観ているに一人
やっぱり 一人がよろしい雑草
焼き捨てて 日記の灰はこれだけか
窓あけて 窓いっぱいの春
うどん供へと母よ わたくしもいただきまする
月よ山 よわたしは 旅で病人でいる
一つあれば事足りる 鍋の米とぐ
天の川 ま夜中の酔ひどれは踊る
笠に とんぼとまらせてあるし
生きていることがうれしい水をくむ
水に影ある 旅人である
真青澄む水うらら 照るわが影悲し
飲みたい水が 音たてていた
落葉する これから水がうまくなる
腹いっぱい水飲んで来て寝る
月へ汲みあげる 水のあかるさ
春風の鉢の子ひとつ
あたらしい法衣いっぱいの陽があたたかい
笠へぽっとり椿だった
分けいっても分けいっても青い山
ならんで歩く石だたみすべるほどの雨
音はしぐれか
うしろ姿のしぐれてゆくか
まっすぐな道でさびしい
鉄鉢の中へも露
生死の中の雪ふりしきる
晴れて鋭い故郷の山を見直す
荒海へ脚投げ出して旅のあとさき
さくらさくらさくらさくらちるさくら
いちはやく山ふところのさくら一もと
さくらが咲いて旅人である
さくらが咲いてさくらが散って踊る踊る
葉桜となって水に影ある
月からひらり柿の葉
やっばり一人はさみしい枯葉
一たび思う 少年の時
書を読んで 空堂に在り
燈火 しばしば油をそえ
いまだ厭わざりき 冬夜の長きを
〔大意〕
少年時代を回想すると、誰もいない部屋の中でしきりに書物を読んだもんだ
ともしびに何度も油を注ぎたして起きていたがすこしも冬の夜ながが苦にならなかった。
たむけんと 書きなすことの いと弱み
あはれなりけり 昔おもへば
良寛
書を読んで 空堂に在り
燈火 しばしば油をそえ
いまだ厭わざりき 冬夜の長きを
〔大意〕
少年時代を回想すると、誰もいない部屋の中でしきりに書物を読んだもんだ
ともしびに何度も油を注ぎたして起きていたがすこしも冬の夜ながが苦にならなかった。
たむけんと 書きなすことの いと弱み
あはれなりけり 昔おもへば
良寛
憶う 円通寺に在りし時
つねに 吾が道のなるを歎ぜしことを
柴を運んでは龍公(ほうこう)を懐(おも)い
碓(うす)を踏んでは 老廬(ろうろ)を思う
入室 あえて後るるにあらず
朝参<ちょうさん)つねに徒に先んず
ひとたび 席を散じてより
悠々たり 三十年
山海 中州をへだて
消息 人の伝うるなし
恩に感じ ついに涙あり
これを寄す 水の潺湲(せんかん) たるに
(大意)円通寺にいたころを思い出すと、いつも自分の分別は、同僚とかけ離れていて、孤独を嘆いたものである。だから自分は、柴を運び、臼をふみながら、先覚者龍居師や廬行者にし、これにあやかりたい一心であった。つらい修業にも精を出し、参問のために師の室に入ったり、暁天の座に参列するのに、人に後れをとったことはなかった。今や円通寺を去って、三十年にもなる。
越後と備中とでは、遠く山河をへだてているので、あの円通寺がその後どうなったか、消息を知らせてくれる者もいない。だが、国仙和尚の師恩をおもうと、ついに涙があふれでる。さらさら音を立てて流れる水に、それを寄せることにしょう。
つねに 吾が道のなるを歎ぜしことを
柴を運んでは龍公(ほうこう)を懐(おも)い
碓(うす)を踏んでは 老廬(ろうろ)を思う
入室 あえて後るるにあらず
朝参<ちょうさん)つねに徒に先んず
ひとたび 席を散じてより
悠々たり 三十年
山海 中州をへだて
消息 人の伝うるなし
恩に感じ ついに涙あり
これを寄す 水の潺湲(せんかん) たるに
(大意)円通寺にいたころを思い出すと、いつも自分の分別は、同僚とかけ離れていて、孤独を嘆いたものである。だから自分は、柴を運び、臼をふみながら、先覚者龍居師や廬行者にし、これにあやかりたい一心であった。つらい修業にも精を出し、参問のために師の室に入ったり、暁天の座に参列するのに、人に後れをとったことはなかった。今や円通寺を去って、三十年にもなる。
越後と備中とでは、遠く山河をへだてているので、あの円通寺がその後どうなったか、消息を知らせてくれる者もいない。だが、国仙和尚の師恩をおもうと、ついに涙があふれでる。さらさら音を立てて流れる水に、それを寄せることにしょう。
四摂法
一、布施・貧(むさぼ)らぬこと。世に諂(へつら)わぬこと
二、愛語・慈愛の心、顧愛の言語
三、利行・あまねく自他を利すること
四、同事・違(たが)わざる事。自他にも違わざる事
(良寛はの愛語の一文を次のように謹書する)
愛語といふは、衆生みるにまず慈愛の心をおこし、顧愛の言語をほどこすなり。おほよそ暴悪の言語なきなり。世俗には安否をとふ礼儀あり、仏道には珍重のことばあり、不審の孝行あり。衆生を慈念すること、なほ赤子のおもひをたくはへて、言語するは愛語なり。徳あるはほむべし、徳なきはあはれむべし。愛語をこのむよりは、やうやく愛語を愛語を増長するなり。しかあれば、ひごろしられず、みへざる愛語も現前するなり。
現在の身命の在するあひだ、このんで愛語すべし。世々生々にも不退転ならん。怨敵を降伏し、君子を和睦ならしむること、愛語を本とするなり。むかひて愛語をきくは、面をよろこばしめ、心をたのしくす。むかはずして愛語をきくは、肝に銘じ魂に銘ず。しるべし、愛語は愛心よりおこる。愛心は慈心を種子とせり。愛語よく廻転の力あることを学すべきなり。ただ能を賞するのみにおらず。
一、布施・貧(むさぼ)らぬこと。世に諂(へつら)わぬこと
二、愛語・慈愛の心、顧愛の言語
三、利行・あまねく自他を利すること
四、同事・違(たが)わざる事。自他にも違わざる事
(良寛はの愛語の一文を次のように謹書する)
愛語といふは、衆生みるにまず慈愛の心をおこし、顧愛の言語をほどこすなり。おほよそ暴悪の言語なきなり。世俗には安否をとふ礼儀あり、仏道には珍重のことばあり、不審の孝行あり。衆生を慈念すること、なほ赤子のおもひをたくはへて、言語するは愛語なり。徳あるはほむべし、徳なきはあはれむべし。愛語をこのむよりは、やうやく愛語を愛語を増長するなり。しかあれば、ひごろしられず、みへざる愛語も現前するなり。
現在の身命の在するあひだ、このんで愛語すべし。世々生々にも不退転ならん。怨敵を降伏し、君子を和睦ならしむること、愛語を本とするなり。むかひて愛語をきくは、面をよろこばしめ、心をたのしくす。むかはずして愛語をきくは、肝に銘じ魂に銘ず。しるべし、愛語は愛心よりおこる。愛心は慈心を種子とせり。愛語よく廻転の力あることを学すべきなり。ただ能を賞するのみにおらず。






