良寛の唄
良寛さんの唄を掲載しています
良寛
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日がな一日を「かくれんぼ」や
    「毬つき」などで子供達と遊ぶ良寛。
宗門の戒めに背き、酒をのみ煙草もすいながら
         多数の詩歌を詠んだ良寛。
印可の偈(免許状)を受けながら、
   生涯一寺の住職にもならなかった良寛。
僧侶でありながら経を読まず
          説教もしなかった良寛。
さけさけと
さけさけと
 花にあるじを 
 まかせられ
 けふも酒々
 あすもさけさけ               

  良寛

少年の時
一たび思う 少年の時
書を読んで 空堂に在り
燈火 しばしば油をそえ
いまだ厭わざりき 冬夜の長きを

〔大意〕
 少年時代を回想すると、誰もいない部屋の中でしきりに書物を読んだもんだ
ともしびに何度も油を注ぎたして起きていたがすこしも冬の夜ながが苦にならなかった。


たむけんと 書きなすことの いと弱み
あはれなりけり 昔おもへば

良寛

子陽先生の墓を訪う
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(子陽先生の墓を訪う)

古墓 何れの処ぞこれ
春日に 草は芋々たり
これ昔 狭河の側
子を慕って ねんごろに往還す
旧友 ようやく零落し
市朝 いくたび変遷す
一世 まことに夢のごとし
首を回らせば 三十年

〔大意〕
古びた墓のあるこの場所は、何という地籍か知らないが、春の陽光をうけて、草がいちめんに生い茂っている。思えば昔、狭川のほとりに塾を開いていた先生を慕って、その膝下にねんごろに参じたものである。
今でも当時の学友たちも、どうやら落ちぶれてしまい、町のようすなども何度も変わってしまった。世の移り変わりは、まことに夢のようであるが、すでに三十年の月日が流れてしまったのだ。


円通寺に在りし時
憶う 円通寺に在りし時
つねに 吾が道のなるを歎ぜしことを
柴を運んでは龍公(ほうこう)を懐(おも)い  
碓(うす)を踏んでは 老廬(ろうろ)を思う
入室 あえて後るるにあらず
朝参<ちょうさん)つねに徒に先んず
ひとたび 席を散じてより
悠々たり 三十年
山海 中州をへだて
消息 人の伝うるなし
恩に感じ ついに涙あり
これを寄す 水の潺湲(せんかん) たるに

(大意)円通寺にいたころを思い出すと、いつも自分の分別は、同僚とかけ離れていて、孤独を嘆いたものである。だから自分は、柴を運び、臼をふみながら、先覚者龍居師や廬行者にし、これにあやかりたい一心であった。つらい修業にも精を出し、参問のために師の室に入ったり、暁天の座に参列するのに、人に後れをとったことはなかった。今や円通寺を去って、三十年にもなる。
越後と備中とでは、遠く山河をへだてているので、あの円通寺がその後どうなったか、消息を知らせてくれる者もいない。だが、国仙和尚の師恩をおもうと、ついに涙があふれでる。さらさら音を立てて流れる水に、それを寄せることにしょう。


平成 少年の時
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平成 少年の時
遨遊(ごうゆう)して 繁華(はんか)を遂う
好んで 嫩鵝(どんが)の衫(さん)を著け
よく 白鼻(はくび)のかにまたがる
朝には 新豊の市を過ぎ
暮れには 河陽の花に酔う
帰り来れども 何の処かを知らず
笑って指さす 莫愁(ばくしゅう)の家

(大意)いつも少年時代には、おもいきり遊んで派手なことをしていた。がちょうの羽で織った袖無しの衣をつけ、白い鼻の栗毛馬にまたがって、朝には新豊の街の盛場をすぎ、夕には河陽の桃花の下に陶然とした。そして、どこに帰って行くのかと問われると莫愁のいる妓桜を、笑いながら指さした

四摂法
四摂法
一、布施・貧(むさぼ)らぬこと。世に諂(へつら)わぬこと

二、愛語・慈愛の心、顧愛の言語

三、利行・あまねく自他を利すること

四、同事・違(たが)わざる事。自他にも違わざる事

(良寛はの愛語の一文を次のように謹書する)
愛語といふは、衆生みるにまず慈愛の心をおこし、顧愛の言語をほどこすなり。おほよそ暴悪の言語なきなり。世俗には安否をとふ礼儀あり、仏道には珍重のことばあり、不審の孝行あり。衆生を慈念すること、なほ赤子のおもひをたくはへて、言語するは愛語なり。徳あるはほむべし、徳なきはあはれむべし。愛語をこのむよりは、やうやく愛語を愛語を増長するなり。しかあれば、ひごろしられず、みへざる愛語も現前するなり。
現在の身命の在するあひだ、このんで愛語すべし。世々生々にも不退転ならん。怨敵を降伏し、君子を和睦ならしむること、愛語を本とするなり。むかひて愛語をきくは、面をよろこばしめ、心をたのしくす。むかはずして愛語をきくは、肝に銘じ魂に銘ず。しるべし、愛語は愛心よりおこる。愛心は慈心を種子とせり。愛語よく廻転の力あることを学すべきなり。ただ能を賞するのみにおらず。

七絶一首
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七絶一首
〔訓み〕
十字街頭 食を乞いおわり
八幡宮辺 まさに徘徊す
児童 あい見て ともにあい語るは
亡年の痴増 今又来たると
 
和歌一首

わがやどを
たづねてきませ
あしびきの
やまのもみじを
たどりがてらに

和歌一首

われながら うれしくもあるか
みほとけの いますみくにに
ゆくとおもえば

永平緑を読む
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(永平緑を読む)
春夜 蒼茫たり 二三更 
春雨 雪に和して 庭竹にそそぐ
寂寥を慰めんと欲すれど まことに由なく
暗裏に模索す 永平緑
香を焼き 燈を点じ 静かに披き見るに
一句一言 みな 珠玉たり
憶い得たり 疇昔 玉島にありて
円通の先師
正法眼を提示せしことを
当時すでに 景仰の憶あり
ために拝閲を請い 親しく履践す
始めて 従前の みだりに 力を費せしことを覚り
これより師を辞して 遠く 往返す
ああ 永平 何の縁かある
到るところ逢着す 正法眼
参じ去り 参じ来る およそ幾回ぞ
そのうち 往々にして 呵嘖なし
諸法 知識に 参学し到り
ふたたび この緑を把りて ほぼ賛同す
ああ 諸方の混ずるを いかんともするなく
玉か石か ともに分つなし
五百年来 塵挨に委ねしは
職として これ 法を択ぶの眼なきによる
滔々 皆これ 誰がためにか拳ぐる
言うなかれ 今に感じて 心曲を労すと
一夜 燈前に 涙 留まらず
湿い尽す 永平古仏の録
翌日 隣翁 草庵に来り
我に問う この書 なんとすれぞ湿いたると
道わんと欲して道わず 心 うたた切なり
心 うたた切なるも 説き及ぼさず
低頭 やや久しうして 一語を得たり
夜来 雨漏 書笈を湿すと

〔大意〕春の夜がふけて、あたりがぼんやり暗くなり、
雨に雪がまじって、庭の竹に降りそそいでいる。この寂しさをなぐさめるのに、ほかに方法がないので、暗がりを手探りして『正法蔵眼』を取り出した。香をたき、燈をつけて、静かに開いて読んでみると、どこを見てもすへて珠玉の名言である。
思えばかって玉島の円通寺にいたとき、亡くなられた師の国仙和尚から、『正法源蔵』の堤唱に接したことがある。そのころは、すでに道元禅師を尊敬していたから、つつしんで拝誦し教えを実行しょうとした。すると、これまでの努力が、無駄であったことを覚ったので、国仙和尚のもとを辞して、諸国の遍歴に上った。
すると、『正法源蔵』と自分とが、どういう因縁であるのか、どこへ行っても『正法源蔵』の教えにぶつかる。高僧といわれる人について参学し、ずいぶん接触したのに、すこしも叱ってくれぬことがある。そこで、またほかの高僧について参学し、このようなことを重ねて、再びこの書物を読み直してみると、おおよそ禅の極意というものを悟ったような感じがした。ああ、現代ではもろもろの教義が乱れはびこり、玉と石とを区別できないほどである。この書物が五百年このかた、ちりとほこりにまみれてきたのは、おもにこの法をえらぶ見識がなかったためではないか。
この書物にあふれる大文字は、いったい誰のためにあるか。修行者のためではないのか。それなのに修行者どもが、この書物に感応しないとは、いったい何のための修行であろうか。これを思うと、燈前に胸がせまって、涙がとめどもなく流れ、すっかりこの書物をぬらしてしまった。
さて翌日、隣家の老人がたずねて来て、この書物がぬれているわけをたずねた。わけを話そうにも、まだくやしさが心に満ちていて、なかなか言葉にはならない。しばらく考えて、うまい言い訳が出た「昨夜から雨もりのために、本箱がぬれたためだ」と。


旅の和歌 良寛
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旅の和歌 良寛

やまおろしよ いたくな吹きそ しろたへの
ころもかたしき たびねせしよは

おもひきや みちのしばくさ うちしきて
   今宵はおなじ かりねせんとは

浜風も 心して吹け ちはやぶる
   神の社に 宿りせし夜は

よしや寝んすまの浦はの 波まくら

つのくにの たかぬのおくの ふるてらに
すぎのしづくを ききあかしつつ

幾度か まみる心は 勝尾寺
   ほとけの誓 たのもしきかな

(西行法師の墓に詣でて花をたむけて詠める)
たをりこし はなのいろかは うすくとも
   あはれみたまへ 心ばかりは

ながむれば 名もおもしろし 和歌の浦
   心なぎさの 春にあそばん

伊勢の海 波しづかなる 春に来て
   昔のことを 聞かましものを

立田山 紅葉の秋に あらねども
  よそにすぐれて あはれなりけり