良寛の唄
良寛さんの唄を掲載しています
伊勢の海
20041104191444.gif

伊勢の海 浪静なる 春に来て
昔の事を 聞かましものを

白浪の よする渚さを 見渡せば
末は雲井に 続く海原

皇(すめらぎ)の 千代万代の 
御代なれば 華の都に 言の葉なし

故郷に向かう  良寛
山おろしよ いたくな吹きそ 白妙の
衣片敷き 旅寝せし夜は

思ひきや 道の芝草 打ち敷きて
今宵も同じ 仮寝せむとは

浜風よ 心して吹け 千早振る(ちはやぶる)
神の社に 宿りし夜は

笹の葉に ふるや霰の ふる里の
宿にも今宵 月を見るらむ


ふるさと
20041104191525.gif

草枕 夜ごとに変はる 宿りにも
結ぶは同じ 古里の夢

立田山 紅葉の秋に あらねども
よそに勝(まぐれ)て あはれなりけり

手折り来し 花の色香は 薄くとも
あはれみ給(たま)ひ 心ばかりは

高野のみ寺に宿りて つの国の 高野の奥の古寺に 
杉のしづくを 聞きあかしつつ

眺室(ながむれ)ば 名も面白し 和歌の浦
心なぎさの 春に遊ばむ

久方の 春日に芽出る 藻塩草
かきぞ集(あつむ)める 和歌の浦わは


四摂法
ma15s.jpg

四摂法

一、布施・貧らぬこと。世に諂(へつら)わぬこと

二、愛語・慈愛の心、顧愛の言語

三、利行・あまねく自他を利すること

四、同事・違わざる事。自他にも違わざる事

(良寛はの愛語の一文を次のように謹書する)
愛語といふは、衆生みるにまず慈愛の心をおこし、顧愛の言語をほどこすなり。おほよそ暴悪の言語なきなり。世俗には安否をとふ礼儀あり、仏道には珍重のことばあり、不審の孝行あり。衆生を慈念すること、なほ赤子のおもひをたくはへて、言語するは愛語なり。徳あるはほむべし、徳なきはあはれむべし。愛語をこのむよりは、やうやく愛語を愛語を増長するなり。しかあれば、ひごろしられず、みへざる愛語も現前するなり。
現在の身命の在するあひだ、このんで愛語すべし。世々生々にも不退転ならん。怨敵を降伏し、君子を和睦ならしむること、愛語を本とするなり。むかひて愛語をきくは、面をよろこばしめ、心をたのしくす。むかはずして愛語をきくは、肝に銘じ魂に銘ず。しるべし、愛語は愛心よりおこる。愛心は慈心を種子とせり。愛語よく廻転の力あることを学すべきなり。ただ能を賞するのみにおらず。

近江路をすぎて
近江路をすぎて
古里へ 行く人あらば 言づてむ 今日近江路を
我越えにきと

木曽路にて
この暮れの 物悲しきに 若草の 妻呼びたてて
小牡鹿鳴くも

狭筵に 衣片敷き ぬば玉の 小夜ふけ方の
月を見るかも

つれづれに 月をも知らで 更科や 姨捨山も
よそに眺めて 
(独り物思いに沈んで旅をしていたので、月の名所ということも気づかず、更科にある姥捨山も自分には関係ないものとして、ただ眺めながらとうりすぎたよ)

言の葉も 如何かくべき 雲霞 晴ぬる今日の
富士の高根に

富士も見え 筑波も見えて 隅田川 瀬々の言の葉
尋ねてもみむ
(にしを眺めると富士の山が見え、東を眺めると筑波の山が見える。このすばらしい隅田川のほとりに来て、川の瀬が多くあるように時代ごとに述べられた和歌を尋ね出し、その思いを味わってみたいものだ。)

都鳥 隅田川原に 住 馴れて 遠路近人に
名や問るらむ 
(都鳥よ、おまえはこの隅田川の川原に住みついて、そのため他国の人や近くの人からも、名前を尋ねられているであろう)

夢かとも また現とも 思ほへず 君に別し 心まどひに
(あなたが亡くなったその別れの悲しみに心が乱れ、その知らせが夢なのか現実なのか分からないほどだ)
この里に 住き来の人は さはにあれども さすたけの
君しまさねば 寂しかりけり
(家が建ち並ぶこの里を行き来する人は多いけれど、あなたの姿は見られない。あなたがこの世におられないので、まことに寂しいことよ。)

思ほえず 草の庵に 来にけらし ありし昔の 心ながらに

あづさ弓 春野に出でて 若菜摘めども さすたけの
君しまさねば 楽しくもなし

此の里の 桃の盛りに 来て見れば 流れ映る 花のくれなる

名にしあふ 今宵の月を 我が庵に 都の人こと むかふ隅なさ

山里は うら寂しくぞ なりにける 木々の梢の 
  散り行く見れば

酒くみて 語る浮世の 流れ水 濁り澄めるも さもあらばあれ
  (酒をくみかわして親しく語り合う者同士は、この世の流れ者のように定めない境遇にある身だ。ままよ、濁り酒と澄む酒があるように、この世が汚れていようが、澄んでいようが、どうあってもかまわない。)

夕立に 降り込られし くされ儒者 ひたる君子と
  誰かいふらむ

亡きをりは 何を頼りに 思はまし あるに習ひし 今日の心は
  (子供が、もし亡くなった折りには何を力として生きようかということをも思っただろうか。思いもしなかったのに。元気でいることになれてしまった今日の子供を失った親の気持ちは、言いようもなく悲しいことだ。

語らずに あるべきものを ほとほとに 人の子ゆえに
  濡るる袖かな
久方の 雨にぬれつつ 時鳥 鳴く声きけば 
  昔思ほゆ
 ただ頼む 三界六道 田長くる 三瀬の川に
   鳴きわたるかな  
 
山かげの 垣根に咲ける 卯の花は 雪かとのみぞ
   あやまたれける
深見草 今を盛りに 咲にけり 手折もおしし
  手折ぬもおし

うつしみの 人の裏屋に 宿借りて ひと日ふた日と
日を送りつつ

今朝はしも 押し来る水の 凍れるに この里人も
漕ぎぞわづらふ

この里は 鴨つく島か 冬されば 行き来の路も
舟ならずして

おひの身の おひのよすがを 訪ふと なづさへけらし
その山みちを

あしびきの 山の紅葉は さすたけの 君には見せつ
散らばこそ散れ

もたらしの 園生の木の実 珍しみ 三世の仏に
はつ奉る

いかにして 君いますらむ この頃の 雪気の風の
日々に寒きに

あしびきの み山をい出でて 空蝉の 人の裏屋に
住むとこそすれ


しかりとて 術のなければ 今さらに 慣れぬよすがに
日を送りつつ

大殿の 大殿の 殿のみ前の み林は 幾世経ぬらむ
ちはやぶる 神さびにけり そのもとに いほりを占めて
朝には い行きもとほり 夕べには そこにいで立ち
立ちてみて 見れども飽かぬ これのみ林

山陰の 荒磯の波の たち返り 見れども飽かぬ
これのみ林

大殿の 林のもとに 庵占めぬ 何かこの世に 思ひ残さむ

大殿の 林のもとを 清めつつ 昨日も今日も 暮らしつるかも

月夜には いも寝ざりけり 大殿の 林のもとに 行き帰りつつ

人生二百年
20041104191525.gif


人生二百年
汎(はん)として水上の頻(ひん)の若(ごと)し。
波に随って虚しく東西し
浪遂うて休辰(きゅうしん)無し。
汎・浮び漂うこと 頻・浮草

過去は己に過ぎ去り
未来は尚未だ来らず。
現在復住(またとど)まらず
展転相似る無し。

是非 二
20041104191500.gif

是非 二

人心各おなじからず
面の相違あるが如し
倶に一般の見を執りて
到る処是非を逞(てい)うす
我に似れば非も是と為(ため)し
我に異なれば是も非と為す
推己の是とする所を是とし
何ぞ他の非とする所なるを知らん
是非は始めより己に在り
道は固より斯(こ)の如くならず
竿を以て海底極めんとする
祗覚(たださとる)る一場の癡たることを

生涯身を立つるに頼し
生涯身を立つるに頼(ものう)し
騰々として天真に任す
嚢(のう)中三升の米
炉辺一束(ろへんいっそく)の薪(たきぎ)
誰か問わん迷悟の跡
何ぞ知らん名利の塵(みょうりのちり)
夜雨草庵の裡(うち)
雙脚等閑(そうきゃくなおざり)に伸ばす
20041104191525.gif



福島の貞心尼の春のはじめの文のかへし文のはしに

天あめが下にみつる玉より黄金こがねより春のはじめの君がおとづれ

きさらぎ

冬ごもり 春にはあれど 埋み火に 足さしのべて
つれづれと 草の庵に とぢこもり うち数ふれば
きさらぎも 夢のごとくに すぎにけらしも

百鳥ももどりの木伝こづたひて鳴く今日しもぞ更にや飲まむ一つきの酒

手毬をよめる

冬ごもり 春さりくれば 飯いひ乞ふと 草のいほりを
立ち出でて 里にい行ゆけば たまほこの 道のちまたに
子どもらが 今を春べと 手まりつく 一ひ二ふ三み四よ五い六む七な
汝ながつけば 吾あはうたひ あがつけば なはうたひ
つきてうたひて 霞立つ 長き春日はるひを 暮らしつるかも

かへしうた

霞立つ長き春日を子供らと手まりつきつつ今日もくらしつ


師常に手毬をもてあそびたまふとききて、「これぞこの仏の道に遊びつつつくやつきせぬ御のりなるらむ」(貞心尼)。御返し

つきてみよひふみよいむなやここのとを十とをさめてまた始まるを

あくる日はとくとひ来給ひければ、「歌や詠まむ手毬やつかむ野にや出でむ君がまにまになして遊ばむ」(貞心尼) 御かへし

歌もよまむ手毬もつかむ野にも出でむ心ひとつを定めかねつも


むらぎもの心楽しも春の日に鳥のむらがり遊ぶを見れば

むらぎもの心は和なぎぬ永き日にこれのみ園の林を見れば


鉢の子

鉢の子は 愛はしきものかも 幾年か わが持てりしを
今日道に 置きてし来れば 立つらくの たづきも知らず
居るらくの すべをも知らに かりこもの 思ひみだれて
ゆふづつの かゆきかくゆき とめゆけば ここにありとて
わがもとに 人はもて来ぬ うれしくも 持て来るものか その鉢の子を

かへしうた

春の野に菫つみつつ鉢の子を忘れてぞ来こしあはれ鉢の子


鉢之子に菫たんぽぽこきまぜて三世みよの仏にたてまつりてむ


かぐはしき桜の花の空に散る春のゆふべは暮れずもあらなむ


あしひきの青山越えてわが来れば雉子きぎす鳴くなりその山もとに


山住みのあはれを誰に語らましあかざ籠こに入れかへるゆふぐれ





国上くかみ山松風すずし越え来れば山ほととぎすをちこちに鳴く


さ苗ひくをとめを見ればいそのかみ古りにし御代みよの思ほゆるかも


あしひきの山田の爺をぢがひねもすにいゆきかへらひ水運ぶ見ゆ


ひさかたの雨の晴れ間にいでて見れば青みわたりぬ四方よもの山々


或夏の頃まうでけるに、いづちへか出で給ひけむ見え給はず、ただ花がめに蓮はちすのさしたるがいと匂ひて有りければ、「来て見れば人こそ見えね庵いほ守もりてにほふ蓮の花のたふとさ」(貞心尼)。御返し

みあへするものこそなけれ小瓶をがめなる蓮はちすの花を見つつしのはせ





ふみ月十五日の夜よみたまひしとぞ

風は清し月はさやけしいざともに踊り明かさむ老のなごりに


ひさかたの 月の光の きよければ 照らしぬきけり
唐からも大和も 昔も今も うそもまことも


月よみの光を待ちて帰りませ山路は栗の毬いがの多きに


ゆふぎりに遠をちの里べはうづもれぬ杉立つ宿にかへるさの道


秋もややうらさびしくぞなりにける小笹をざさに雨のそそぐを聞けば


秋の雨の晴れまに出でて子どもらと山路たどれば裳ものすそ濡れぬ


秋の日の光りかがやく薄の穂これの高屋にのぼりてみれば


秋山をわが越えくればたまほこの道も照るまでもみぢしにけり





やまたづの向ひの岡にさを鹿たてり 神無月かみなづきしぐれの雨にぬれつつ立てり


水や汲まむ薪たきぎや伐こらむ菜や摘まむ朝の時雨の降らぬその間に


飯いひ乞ふと里にも出でずこの頃はしぐれの雨の間なくし降れば


日は暮れて浜辺をゆけば千鳥啼くどうとは知らず心細さよ


ひさしくやまふにふして

うづみ火に足さしくべて臥せれどもこよひの寒さ腹にとほりぬ


夜もすがら草のいほりにわれ居れば杉の葉しぬぎ霰あられ降るなり


由之をゆめに見てさめて

いづくより夜の夢路をたどりこしみ山はいまだ雪の深きに


あしひきの山の椎柴折り焼たきて君と語らむ大和言の葉


貞心尼に

あづさゆみ春になりなば草の庵いほをとく訪ひてませ逢ひたきものを


あすは春といふ夜

なにとなく心さやぎていねられずあしたは春のはじめとおもへば


哀傷


ひたしおやに代りて

かいなでて負ひてひたして乳ちふふめて今日は枯野におくるなりけり


こぞは疱瘡にて子供さはに失せにたりけり。世の中の親の心にかはりてよめる

人の子の遊ぶを見ればにはたづみ流るる涙とどめかねつも


都良子が死にけりと人のいひければ

秋のゆふべ虫の音ききに僧ひとり遠方をちかた里は霧にうづまる





高野のみ寺にやどりて

紀の国の高野のおくの古寺に杉のしづくを聞きあかしつつ


出雲崎にて 二首

たらちねの母がかたみと朝夕に佐渡の島べをうち見つるかも

いにしへにかはらぬものはありそみとむかひに見ゆる佐渡の島なり


国上にてよめる 三首

きて見ればわが古里は荒れにけり庭もまがきも落葉のみして

いにしへを思へば夢かうつつかも夜はしぐれの雨を聞きつつ

あしひきの山べにすめばすべをなみしきみ摘みつつこの日暮らしつ


いざここにわが身は老いむあしひきの国上の山の松の下いほ


里べには笛や太鼓の音すなりみ山はさはに松の音して


やまかげの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも


行燈の前に読書する図に

世の中にまじらぬとにはあらねどもひとり遊びぞ我はまされる


芭蕉翁の賛

みづぐきの筆紙もたぬ身ぞつらき昨日は寺へけふは医者どの


およしさによみておくる 三首

かしましと面おもて伏ぶせには言ひしかど此の頃見ねばさびしかりけり

くさむらの蛍とならば宵々にこがねの水を妹いもたもうてよ

身が焼けて夜は蛍とほとれども昼はなんともないとこそすれ


しきりに風吹き雨降りたしなみつつ島崎にいたりぬ。人の家づとをこひたりければ

笠はそらに草鞋わらぢはぬげぬ蓑はとぶわが身一つはいへのつととて


あまつたふ日はかたぶきぬたまほこの家路は遠しふくろは重し


寺泊に飯乞ひて

こき走る 鱈にもわれは 似たるかも
あしたには かみにのぼり
かげろふの 夕さりくれば 下るなり


おのが姿をゑがける画に題す

良寛僧がけさの朝花もてにぐるおんすがた後の世まで残らむ


いほにきてかへる人見送るとて

山かげの真木まきの板屋に雨も降り来こね さすたけの君がしばしと立ちどまるべく


山田杜皐とかう老の「初とれの鰯いわしのやうな良法師やれ来たといふ子らがこゑごゑ」といひしに

大めしを食うて眠りし報いにやいわしの身とぞなりにけるかな


乙宮の森の下屋の静けさにしばしとてわが杖うつしけり


乙宮の森の木下こしたにわが居れば鐸ぬてゆらぐもよ人来たるらし


いくむれか鷺のとまれる宮の森有明の月雲がくれつつ


松之尾の松の間を思ふどち歩ありきしことは今も忘れず


述懐の歌 二首

いそのかみ古のふる道しかすがにみ草ふみわけ行く人なしに

ますらをの踏みけむ世々のふる道は荒れにけるかも行く人なしに


いにしへは心のままに従へど今は心よわれにしたがへ


墨染のわが衣手のひろくありせば 世の中の貧しき人を蔽はましものを


捨てし身をいかにと問はばひさかたの雨ふらば降れ風ふかば吹け


法のりの塵にけがれぬ人はありと聞けどまさ目に一目見しことはあらず


あわ雪のなかに顕たちたる三千大千世界みちおほちまたその中に沫雪ぞ降る


ぬばたまのよるはすがらに糞まりあかし あからひく昼は厠かはやに走り敢へなくに


この夜らの いつか明けなむ
この夜らの 明けはなれなば
をみな来て はりを洗はむ
こいまろび あかしかねけり 長きこの夜を


かくて師走のすゑつ方に俄におもらせ給ふよし、人のもとより知らせたりければ、打ちおどろきて急ぎまうでて見奉るに、さのみなやましき御気しきにもあらず、床のうへに座しゐたまへるが、おのが参りしをうれしとやおもほしけむ

いついつと待ちにし人は来りけり今はあひ見てなにかおもはむ

むさし野の草葉の露のながらひてながらひ果つる身にしあらねば


月の菟

天雲の むか伏すきはみ たにぐくの さ渡る限り
国はしも さはにあれども 里はしも あまたあれども
み仏の 生あれます国の あきかたのママ そのいにしへの
ことなりき 猿ましと菟をさぎと 狐きつにとが 言ことをかはして
あしたには 野山にかけり ゆふべには 林にかへり
かくしつつ 年のへぬれば ひさかたの 天あめのみことの
きこしめし 偽りまこと しらさむと 旅人たびととなりて
あしひきの 山ゆき野ゆき 艱なづみゆき
食をしものあらば たまへとて 尾花折り伏せ 憩ひしに
猿ましは林の 秀枝ほつえより 木の実を摘みて まゐらせり
狐きつには簗やなの あたりより 魚いををくはへて 来りたり
菟をさぎは野べを 走れども 何もえせずて ありしかば
汝いましは心 もとなしと 戒めければ はかなしや
をさぎうからを 欺たまくらく 猿ましは柴を 折りて来よ
きつにはそれを 焚きて給たべ 任まけのまにまに なしつれば
炎に投げて あたら身を 旅人たびとの贄にへと なしにけり
旅人たびとはこれを 見るからに 萎しなえうらぶれ こい転まろび
天あめを仰ぎて よよと泣き 土にたふれて ややありて
土うちたたき 申すらく いまし三人みたりの 友だちに
勝り劣りを いはねども 我あれはをさぎを 愛めぐしとて
元の姿に 身をなして 骸からをかかへて ひさかたの
天あまつみ空を かき分けて 月の宮にぞ 葬はふりける
しかしよりして つがの木の いやつぎつぎに 語りつぎ
言ひつぎ来り ひさかたの 月の菟をさぎと いふことは
これがよしにて ありけりと 聞くわれさへに 白妙しろたへの
衣の袖は 徹とほりて濡れぬ


松山の鏡

越なるや 松の山べの をとめごが 母に別れて
忍びずて 逢ひ見むことを むらぎもの 心にもちて
あらたまの 年の三とせを すぐせしが 師走の暮に
市に出で もの買ふ時に ます鏡 手にとりみれば
わが面おもの 母に似たれば 母刀自ははとじは ここにますかと
よろこびて います日の如 言問こととひて 有りのかぎりの
価あたひもて 買うてかへりて 朝にけに 見つつしぬぶと 聞くがともしさ




教えは大きにあやまる
教えは大きにあやまる。
それを習うは、猶(なお)あやまる。
只、直に見よ。直にきけ。
直に見るは、見るものなし
直に聞くは、聞くものなし


生涯身を立つるに頼(ものう)し
騰々として天真に任す
嚢中(のうちゅう)三升の米
炉辺(ろへん)一束の薪(たきぎ)
誰か問わん迷悟の跡
何ぞ知らん名利の塵
夜雨草庵の裡(うち)
雙脚(そうきゃく)等閑(なおざり)に伸ばす